決着

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  決着  

荒野に渦巻いて、僕の髪に往く風の調べ。
二度とは戻らない。








重苦しく、決して触れてはならぬその一瞬の刹那が痛いまでに僕に伝わってくる。
まるで、風が泣いているみたいだった。
眼を逸らす事さえ許されない、一つ一つが意思をもと言葉のようだ。
いたずらに僕は、剣の柄に手を伸ばそうとした。夜の闇に飲み込まれないように。
闇は、そこら中に転がっている。月の息吹が辺りを支配する、無の時間。
身震いがする。
風の吹き荒れが酷い、遠くに立つ少女の鮮やかな金の髪もそのままに踊る。冷気までもが襲っていた。
射抜くような目線で、相変わらずの瞳だった。
燃えるような赤い瞳が僕を真正面から見る。
荒野を矢のように突き抜けていく風も、二度とは戻らない。ここに立っていると言う瞬間さえも。
君のその、燃えるような紅蓮のごとき瞳も、きっとそうなのだろう。
そうでなくては、ここに来た意味は、君にとってないのだろうと思う。
君は変われたと思っていたけれど、それが人間というものなのかもしれない。どこまでも僕たちは人間のようだった。

「……まさか、ここに来るとは思ってなかった」

彼女の声は、昔から少しの違いもなく僕の鼓膜を打つものだった。
僕たちの距離は、離れていたけれど、その立ち位置が相応しいのだろう。僕は眼を伏せて薄く笑った。
だけれども、彼女は笑っていなかった。
最初の時と変わらない、意思の宿った確かな瞳。
先を見据えた孤高の輝きだ。
――変わってない。だが、それが哀しい。

「…来るつもりはなかったよ、本当は」

あの頃の僕に興味がないからね――僕は暗にそう言ったつもりだったが、昔のまま今も変わらぬ彼女には無用な言葉だったのだろう。
彼女は顔を強張らせて僕を睨んでいた。
俯いて――そうだと思った。
そう呟くように口に出していた。悲痛な顔が一層切なさを感じさせる物であり、それが今の彼女を形作っているものだと思わせた。

残念ながら彼女は、夜の闇に飲まれずにそこにいる。
昔の僕との因縁を断ち切るつもりでそこにいる。
昔、一人で彼女の肉親を殺した人を殺そうとしているのを僕が止めた。
それに失敗して、殺されそうになって、それでも僕は彼女を死なせようとはしなかった。
死のうと、思っていた、ずっと彼女は奥底から捻り出すように僕に言っていた。







『なんであたしみたいな奴を助けたの』

それが彼女の口癖だった。決まって彼女は瞳を閉じて、心を閉ざすかのように僕を見た。
心はいつもどこか違うところを見ていた。
そんなのだめだ――そう思ったのは一瞬で。

『……いずれ君が死ぬかもしれないと思ったから』

適当な事を言ってごまかして見た。初め彼女の手を引いて外の闇に紛れた時、彼女の瞳は研ぎ澄まされたナイフのようなものを見に纏っていた。今はそれが感じられなかった。僕は瞳を閉じて月光を浴びた。
今日は満月のようだ。しばらく世界が回る様子を見る余裕さえなかったようだ。
それを聞いて彼女は、下を向いておもむろに笑った。今まで、どこかに往ってしまっていたように見えた彼女は、その時確かに現実にいるような気がした。

『…あんただって、いずれ死ぬのよ。何言ってるのよ』

虚空を向いて彼女は笑いつづける。
僕は知る由もない。
あの場にたまたま居合わせただけだ。彼女とは赤の他人で、一人の人と、もう一人の人。
未だ赤の残像が見えている――彼女は僕にそう言った。
他人の僕にそんな事を言うなんて、ずっと一人でいて、自分を責めつづけていたのかもしれない。

あくまで、僕の勝手な推測だ。僕は彼女を邪魔した奴にすぎないのだから。

『ねえ……あんたの事…恨んでいい?』

静かな声色だった。
けれど、確かに彼女の芯の強さが感じられた。瞳は揺らぐこともなく、復讐の刃を湛えていた。
目を細めて、笑っている。
僕は、恨まれるのだろうと思った。当然だとは思わないけれど、僕も同様に眼を細めて彼女から目をそらした。
彼女の外套のすそが離れ、僕から離れる。
肯定も否定もしなかった。僕自身は。


『……闇にまぎれちゃえばいいのに』


掠れるような彼女の声。僕は後ろを向いていて分からなかった。しばらくして、僕は言った。

――どうして?

後ろを向いた窓から月明かりが射している。光なら分かる。幸せになれるイメージがあるじゃないか、と。


『幸せになんてなる資格なんて、あたしにはないのよ』

あいつにだって――。
悲痛に歪められた彼女の顔。
僕は、そいつという人がすぐに分かった。けれど、こんな顔はもうして欲しくないと思った。
なぜだかは、考えない事にした。
苦しむために、人は歩きつづけなければならないとしても、全てを受け入れられるほど人は強くはないからだ。
きっと。
考えても同じ答えしか出せなかったから。










「……あの時、あんたがあたしを止めたから、あいつを殺せなかった…」

僕は、剣を引き抜いた。彼女の心は変わらない。あの時と。
復讐の刃を激しくも悲しくその優しい心に湛え、生きてきたのだろうと言う事が伺えた。
風は、いよいよ激しい。
月が、雲に隠れていくのが見えていた。もうすぐ、真の宵闇となる。荒野の何もなさは、空前と心に虚を作っていく。
彼女のような人。僕のような人。
僕のような誰か。彼女のような誰か。
――どうか、そんな人たちがこの世からいなくなりますように。
殺されるかもしれないと、思った僕の心には、唐突にそんな言葉が浮かんでいた。

「人を殺すと言う事は、その人の全てを背負うと言う事なんだ」

彼女を、殺す事になるかもしれない。自分は、生きる。生きなければならないのだ。僕も、彼女も、きっと、違う誰かも。
彼女は、変わらなかった。
僕が変えてあげることができなかった。あの時。間違っていると、言えなかった自分が悔しくて、それでも確かにはっきりと諭せる自信もなかった。

「僕だって、君のすべてを背負える覚悟なんて、ないよ。はっきり言って」

どこにそんなものがあるというのだろうか。
正確な答えなどない。間違えてしまうのが人間ならば、その場の感情に従うべきだ。
僕が断定するなんて、あの時の自分の行動に自身があったみたいだ。それは、違う。
行く先は常に暗い。
未来なんか見えない。
最善の道なんて、誰にも分からない。
生きる事をやめるのか、やめなかったから――僕たちは今生きているんじゃないか。

「……生きる事に絶望しなかった君だから、今生きてる」

生きる事に、君は決着をつけなかった。
僕は、ただ生きている。

彼女の表情が、揺らぐ。
構えた剣の切っ先が震えていた。それを両手で添えて彼女は柄を覆った。
暗い夜の中で、彼女の瞳も黒く見えた。
眉根を寄せて、口を引き締めて。

「……私は、邪魔する奴も、大事な人を殺した奴も、何もかもが憎いの…。とっくに、生きるのは嫌なの。絶望なんかとっくにしてる……。私はこんなに苦しんでるのに!なのに、殺した奴の事まで背負うとか言わないで!」

光る雫が、彼女の頬を滑らせていく。
剣が、荒野に突き刺さる。彼女の腕から人を傷つける力が、荒野に落とされた。
深淵の闇の中に、僕たちが二人。
そう、それでいいんだ。
悲しみの先には、絶望しかない。
絶望は、人を空虚にしていく。世界から色を無くしてしまう。
――生きる先には、何が待っているのか。

それは、彼女にも、僕にも分からない。
決して、誰にも。

「……もう、忘れた方がいいよ」
「…忘れられるなら、そうね、もう生きたくないかも」

――そんな自分が許せないから。
彼女は、そう言った。
世界のどこかに、もしかしたら彼女と同じ人がいるのかもしれない。
同じ人など、誰一人いないこの世界で。
そして、その人達も、彼女と同じ涙を流すのだろうか。

「生きる事が、死んだ人に対する償い、なんじゃないかな。そうする事でさ、先の分からない未来を見てみたいと思わないかな」

彼女は、立ち上がって、夜空を仰ぎ見た。空は、暗黒模様を彩り、星のいのちを伝えていた。
僕たちの星は、見えない。
光は、闇を縫ってはるか時空を越えて届く。
はるかに思い乗せて、夜は往く。
すべてが、明日へ。

「……やっぱり、あなたの事も恨むかも」

彼女は、少しだけ笑う。


――だって、こんなに綺麗だもの。


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